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2010年5月28日 (金)

「はじめに」

文集の冒頭にある、ご挨拶と文集の自己紹介代わりの文章です。


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はじめに

 博物館にはふつう「卒業」はありません。それではなぜ「卒業文集」なのでしょう。学校が送り出した学生たちは「卒業証書」を持って、学校で学んだことを活かしながらそれぞれの進路へ旅立っていくものです。同じような役目が博物館にもあるのではないかと考えました。
 五島プラネタリウムがなくなるという知らせをきいたときは私も決して冷静に受け止められたわけではありません。しかし、その閉館を受け入れなくてはならないなら、なくなることへの不満や嘆きを口にするよりも、五島プラネタリウムで得た喜びや幸せを伝えて残したほうが、五島プラネタリウムのためにも自分のためにもプラスではないかと頭の中を切り替えました。そして未来のこどもたちのためにもなるのではないかとも思いました。
 「閉館」を「卒業」とおきかえたことは、まるで、きれいな言葉をつかって美談をつくったように周囲からは見えたかもしれません。しかし、私があえて「卒業」という言葉を選んだのは、そういう前向きな区切りとしてとらえなくてはどうしようもいられなかったからでした。「卒業文集」とすることで、五島プラネタリウムの「在学中」に印象に残ったこと、この想い出は今の自分を支えているというできごと、そのような文章を集めてまとめてみようと思いました。そしてこれが次の何かへのヒントにもつながるのではないかと考え、多くの「卒業生」たちにも参加してもらえたらと、周囲に呼びかけることにしました。

 経済力もない、大きな人脈もない、特別な能力もない、そんな自分にできる精一杯のことが、文章を書くことによってそれを呼びかけることでした。それは肉声で伝える程度の力だけしかありませんでしたが、幸いなことにインターネットが普及しつつあったことと、発起人のひとりである伊藤さんの行動力によって、私ひとりの肉声以上の範囲にまで声を届けてもらうことができました。
 五島プラネタリウムとはどんな施設だったのかということ・・・それは、何年の歴史があるとか、ドームが何メートルでいくつの星を投影できるとか、そういう数字のデータでは表せない、本質に近い部分をここに束ねられたのではないかと思います。多くの人の役に立ち、心の力となり、愛されたことを。

 若い人からも原稿を送っていただけたことがとても嬉しいことでした。文集に参加したいという気持ちはあっても、小学生や中学生が実際に期限までに考えをまとめて原稿を書き上げて送るということは大変なことと思うのです。学校の提出物でもない、見ず知らずのわたしたちのところに自分の原稿を預けるのだから、なおさらでしょう。形としては見えていなくても、五島プラネタリウムのような施設を必要としていた若い人達もたくさんいることを感じます。実際に行動に移せる頼もしい人達がいるのもわかりました。
 なかには、文章をかくには幼すぎるとも思えるようなこどもたちからも原稿を寄せていただきました。もちろん、お父様やお母様の手助けがあってこそ、わたしたちの手許までたどりつけたのでしょう。小さなこどもたちまでも五島の卒業生として参加してくれる、そのことだけでも嬉しいのですが、わたしの心に響いたのはお父様やお母様の気持ちでした。閉館するまでになんとか我が子にも見せておきたいと、まだプラネタリウムを見るのは早いかもしれない子供たちだけれど、親子揃って渋谷まで来てくれた気持ち。その子供たちになんといって「五島プラネタリウム」を説明したのか、どんなに大切に思ってくれているのかが伝わってくるようでした。嬉しい、でもそれ以上に切ない気持ちにもなりました。

 2001年の閉館時に、五島プラネタリウムに懐かしさは感じない、とあちこちからの取材に私は答えていました。それは私がプラネタリウムを初めて見たのが十九歳のときで、懐かしむほどの時間の経過がなかったためと、懐かしむために大切に思っているのではないことをわかって欲しかったからです。正直いって、人間がつくったものがなくなるのは当たり前、自然の山や海や空気だって変化し続けるものなのだから、という割りきった気持ちがありました。
 その翌年、私は幼い頃から馴染みのあったある場所を失うことになり、何人もの方がこの文集にかいてくださった「体の一部をもぎとられるような気持ち」を味わうことになりました。幼い頃の想い出の風景、いつも笑顔で迎えてくれる人々とのつながり、自分をとりもどしに出かけるはずだった未来・・・が消えてなくなってしまいました。
 それは割りきることのできない感情でした。そのときにやっと、みなさんが五島プラネタリウムを失ったときの衝撃に追いつくことができたのです。
 今まであったものがなくなるのは人の心を寂しくさせることだとわかりました。当たり前のようにあったものがなくなるとき、人はいっそう動揺します。たった四十四年間、東京渋谷で星空をうつしてきた施設がなくなるだけでこんなに不安にさせるのです。しかし、今、わたしたちが手放し忘れかけているものは、何千年も当たり前のようにあった満天の星空、天の川、文化の数々、星から学ぶ心・・・。記録に残っていなくても、人類は何百万年も前からずっと星空に親しんできたに違いありません。地球上の命や風景が新しくなっていくのはしかたがないとしても、「星空」の風景を手放さずにいる可能性はあるはずです。

 人間を育てる「教育」の結果はふつうはっきりと見える形には現れません。現れるとしてもずっと先になるものなので焦ってはいけないのです。それにしてもその「結果」はどんな形で現れるのでしょうか。試験の点でもなく、入学試験に受かるのでもない、こんな文集の形で学んだことを自己申告するのは、「結果」の示し方のうちのひとつです。
 この企画に賛同して文章を寄せてくださった方は、ほとんどがまったく面識のない方ばかりです。科学館や天文台関係の方には発起人の伊藤さんが直接呼びかけをしてくれました。プラネタリウムの星の会の顔見知りの方や、プラネタリウムがきっかけで知り合った友人も原稿をかいてくれたりしていますが、多くはわたしのことも伊藤さんのこともどんな人間かまったく知らない方々です。そんな見ず知らずの私たちの呼びかけに応えて文章を寄せてくださったことも、五島プラネタリウムが残してくれた力なのでしょう。
 どうぞ、五島プラネタリウムが都会の真ん中で映し出していた星影を、この文集から浮かび上がらせてください。
 最後になりましたが、文集の完成まで皆さんを長らくお待たせしてしまったことを深くお詫びいたします。

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