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Thursday, 02 June 2005

プラネタリウムを見たいだけ。

周りの人は私のことを「プラネタリウム大好き!な人」と思っているように感じるが、たぶんそれほどには「好き」ではないと私自身は思う。でも、冬から春にかけて、遠出していくつかの投影を見て、その中には確かに「プラネタリウム大好き!」の気持ちが満ちて溢れるような時間がいくほどかあった。いろいろなプラネタリウムや投影があるうちで、ある種の投影がとても好きらしい。他には味わえない充実感と幸福感。それを味わえる投影が見られるのなら、多少の時間とお金と労力は惜しまない。
それは、「星が好き」とはまた別に向かっている「好き」の感情。

「優・良・可・不可」でいうなら、そのような投影は「優」ランク。何度でも見たいと思う。落ち込んだときには元気になれる。自分を見失っていても取り戻せる。自分もがんばるぞ、と前向きに向き直る。興奮しながら、リラックスできる。なるほどと思わせられる知識や合理的な考え方を得て、自分にプラスになる。

そういう感覚を求めてさまよったり、共鳴してくれる相手を求めて日々発信したりしている。だけど、これはけっこうエネルギーを使う。どこかへ足を運ぶのも、自分にできることを探し続けるのも。精神的にも肉体的にも余裕があればこそできることだ。経済的な余裕も少しは確保しておかないとプラネタリウムどころではないだろう。

探しても探しても「不可」(あくまでも自分の中の位置づけ)ランクだと、それでも次を探すことへのエネルギーはさらに必要になる。「可」ばかりのときは「まぁ、こんなものかな」と自分が探すモノは世間では必要のないモノで、需要が少ないのなら供給されなくても仕方がないのかな、とあきらめの気持ちが強くなる。自分の需要にあるモノを自分で育てようにも、育てる対象もない。

弱気になってくると悲しい気持ちへの考えが芋ずる式につながり、さらに悲しくなってくる。プラネタリウムってそれほど気合いを入れて探さなくては行けないものか。やっと「優」ランクの投影を見つけても、交通費や宿泊費をかけていかなければいけないものか。長距離の移動は、体調を整えて連休を使って計画をたてなければいけない。それでも見たいから出かけてしまうことはあるし、どこへ行ってもないよりはずっとましだと分かっているが、「優」の中でも特ランクは見たいときに見られる、ぶらりと行ける近さにあってほしい。気分が落ちこんで元気がないときに「わざわざ」出かけるにはハードルが高すぎる。

心に元気がないとき、好きな場所がそばにあってくれればいいのに、と思う。
たかがプラネタリウムを見たいだけなのに、どうしてこんなに頑張らなくてはいけないのだろう。
・・・この一週間ほど、そんな思いが頭の中をぐるぐるしている。

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