「おはなしのへや」へ行った。
それは近くの図書館の児童書フロアにある部屋。そこでは4才以上を対象にした絵本などの読み聞かせの時間「おはなし会」が行われている。
それがこの図書館では毎週木曜日と土曜日も月に何度かあり、他にも「おひざのうえのおはなし会」という2才以上のためのものもある。
今の子どもたちがどうお話をきくのか、お話をするためにどんな工夫をしているのか、興味があった。この欲望を満たすにはもう実際の現場にいくしかないと思い、そこででかけることにした。子供連れでない私はどきどきと躊躇しながらも、せっかく時間を合わせてきたのだからと勇気をふりしぼり、「ちょっと見学させてください」とカーペットの敷かれた8畳ほどの「おはなしのへや」へ入れてもらった。
話し手のおとなと聞き手の子供たちがつくるその空間は、はでなしかけも演出もないけれどとても気持ちが集中し静かに満たされた。聞き手のこどもになりきった目から見て、おとなとも横に並んでいるこどもともつながっている気分。こどもたちはくいいるように読み手の目と絵本を見つめていた。リズミカルに繰り返される調子で展開するお話には、先を予想した文章をこどもたちも読み手と一緒になって声に出す。最後にどんでん返しにあっても、とても楽しそう。最後は、今日読んでもらった本を借りようと、こどもたちが群がった。じゃんけんをしたり譲り合い、みんな宝物を持つように本を抱えて貸し出しカウンターへお母さんをひっぱっていった。
この夢中になりっぷりはすばらしい。
たった30分とはいえ充実した時間を過ごすことができた。毎週こんな時間が過ごせたらいいと思った。
私が好きなプラネタリウムの投影も、同じ空気が流れていた。
本に書かれている文章は誰が読んでも変わらない。
夜空に見える星も、誰の上にも同じように光っている。
だけど、読み手によってその絵本の印象もそれからの本とのつきあい方も変わるように、投影後に得られるものも解説によって変わってくる。
特別な演出やおおげさな表現はなくても、読み手の「見方」「心」は伝わっていく。読み手が何を伝えるのかというと、それこそいつかの記事にあった「根底思想」なのだろう。いつでも自分の「根底思想」を研いで磨いておかねば。それがあれば、たどたどしくても、きっと真っ直ぐに伝わる。
☆以下は詳細のメモ☆
開始の15:30、児童書コーナーの横の扉が開き「おはなしのへや」へ。
こどもは10人ほど。前に黒い布で覆われた机があり、その手前の椅子にボランティアの方が座り、こどもたちにやさしく話しかけている。「先週も来たの?」「そう、久しぶりなの」「もっと前にいらっしゃい」などと。ゆっくりと。こどもの目を見ながら。おはなしには関係のない会話だけど、これは立派な「つかみ」だ。
途中でひとりの男の子が「ポケモンがさぁ〜」ととなりの子に話しかけようとした。話しかけられた子はさっと人差し指を口の前にたてて「しーっ、お話きけよ」とさえぎる。
最初にろうそくの歌を手遊び付きで歌って、サイドテーブルのろうそくに火を灯す。「ろうそくに火がついたら、ここはおはなしのへやです」
「今年は戌年だねぇ。みんなは干支って知ってる?お正月にわんちゃんの絵をハガキにかいて出したりしたでしょう?」と挨拶をしたと思ったら、これは最初の絵本への導入だった。一冊目は「こいぬがうまれるよ」。
この方はとても聞きやすいムラのない響きの声で、ときどき本の写真を指さしたり話しかけたりしながら、丁寧に読んでいった。
二つ目のお話は読み手のボランティアさんが交代して「大旅行」。これは本の形ではなく、主人公のねずみがカードになっている。ねずみがおかあさんに会いにいく。途中で車を買い、車が壊れ、物売りが現れ、ローラースケートを買い、壊れ、物売りが現れ、長靴を買い・・・とお決まりのパターンが繰り返されながらねずみの大旅行はすすんでいく。ねずみちゃんカードがてくてく歩いていく姿を見ていたら、渋谷のプラネタリウムで村松さんが星座絵を動かしていたのを思い出した。はくちょうが飛んだり、おおぐまが歩いたり。これだけの表現が楽しかった。
ちょっとした機転、工夫が入り混む手動の星座絵投影機。影絵の楽しみがあったな。
三つ目は若い職員さんが「えぞりすのあさ」を読む。声は小さくてききにくいところもあったが、最前列の子供たちには大丈夫だったろう。余計なことははさまずに淡々と読み進めていく。こどもたちはじっと絵を見つめながらきいていた。
最後は紙芝居の「ゆきおんな」。紙芝居用の木枠があり、ちゃんと扉がひらくようになっている。
紙芝居の紙をはだかでやってもそこに入れても内容は同じはずなのに、全然ちがったワクワク感がある。不思議だ。
今日の読み聞かせはボランティアさん2人と若い職員の方1人でされていた。
ボランティアさんの1人は最初と最後のしきり役もつとめた方で、あとからわかったことだが、幼稚園の先生を経験があるそうだ。やさしくききやすい声と言葉、こどもたちを見守るまなざしはこの経験からくるものだろう。もう1人のボランティアさんは年配の方。発声などは前述の方と反対で洗練されていない。でも、読んで「くれる」と感じるていねいさ、声にも見せ方にもあたたかみがあふれていた。
読み聞かせの経験のある友達がいていくつかのハウツーがあるのを以前きいたことがあった。「淡々と読んで感情移入しない」「自分は覚えるくらい読み込む」などなど。読み終えた後に感想がないこともある、言語化するとは限らないし、その世界の余韻にひたっていたいのかもしれないから、そのままでいいともきいた。
おとなはすぐに結果や変化を求めがちだけど、それでいいのだ。
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